忘年会スルーと2020年のコミュニケーション論趨勢
あけましておめでとうございます。
よすが結婚相談所の立川です。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2020年は更に多くのご縁をつないでいけたらと思っています。
さて、職業柄なのか生来の性分なのか分かりませんが、私は人と人のコミュニケーションについて考えるのが好きです。
お見合いなんかはその典型例で、特に「一対一」「場所は毎回ホテルのラウンジ」「時間は毎回1時間」「目的が明確」という条件が揃っていて、研究の対象として大変良いです。しかもお見合いは職場のようなグループでのコミュニケーションではないので相対的に変数が少なく、そこそこの再現性があります。そしてこのメカニズムは私が「婚活は根気強く素直な気持ちで続ければ成果が出る」と考える土台になっています。
一方で難しいなと思うのが、前述の「グループでのコミュニケーション」です。グループの構成員も様々ですし、各々の目的も異なります。関係者の数も増えて、それらの結果として変数が捉えきれない程の数になります。こうした状況に対して例えばビジネスにおけるマネジメントの分野では経営理念とかKPIとかいろいろな工夫が考えられていますが、少し乱暴にそれらをまとめると、考慮すべき変数を極力減らしてシンプルに考えたいということなんですよね。人間は複雑なものを複雑なまま扱えるほど賢くはないので、扱えるレベルにまでシンプルにしようという取り組みなんです。
ところで昨年末に興味深いムーブメントがありました。
若手社員が職場の忘年会に参加しない「忘年会スルー」です。
いわく、参加費が自腹でかつ業務時間外に上司に気を遣わなくてはいけない場になぜ強制参加なのかと。早く家に帰って家族との時間やプライベートを大事にすべきではないかと。
これ、個人的にはものすごくよく分かります。もし今でも自分が会社員だとしたら、こっちの選択肢を(とれるかどうかは別にして)とりたいと願うでしょう。働き方改革の文脈として見ても多分、忘年会スルーは正当性のある流れです。
さて2020年にこの流れが進むとどうなるか?
私の考えではほぼ確実に揺り戻しが来ます。「お酒の場でのウェットなコミュニケーションがとれる新人は出世する」みたいなタイトルの記事が経済誌に出ると予想します。実際に「忘年会は完全に自由参加」という風潮になったら忘年会に参加するとか、忘年会を積極的に仕切ろうとする若手社員は職場で得する可能性が高いです。そうなった時に人は強い心で忘年会スルーを押し通せるのか?それはその時になってみないと分かりません。
世の中というのは面白いもので、今までと逆の価値観が出てくると、しばらくそれがもてはやされた後にほぼ必ず揺り戻しが来ます。
私は30代中盤で、相対的に「結婚するもしないも本人の自由」という考えが強い世代です。しかしその揺り戻しからか、今の20代の子達は「早くに結婚しておいた方が良い」と考える傾向が強い世代のようです。
90年代にもてはやされた「フリーター」という生き方を選択した人たちは、後に政府から「再チャレンジ世代」と名付けられました。
今流行りの社会人の学びは長い歴史で見ると、不景気時には「実学が大事だ!」と叫ばれ、好景気時には「教養が大事だ!」と言われてきたそうです。(これは社会人の学びを長年見てこられた元中央労働委員会会長で法政大学名誉教授の諏訪康夫先生から伺いました)
つまり何が言いたいかというと、世間での正解はいとも簡単に移ろいます。
例えば私自身は今なんとなく「忘年会スルーは正しいっぽい」と思っていますが、それも世間の風潮にただ流されているだけかもしれません。「忘年会は全員参加するものでしょ」という雰囲気が当たり前の社会で私は、自分一人で「忘年会全員参加っておかしくない?」と主張できる自信がありません。
だからせめて後悔しないように、その時々で自分の頭を使って考えることが大事です。
2020年新春、私自身も改めて「自分の頭で考えること」を意識してこの1年を過ごしたいと思います。